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5年間の経験と知識を活かして、オフィス長へ就任

オフィス長

東四国支社 徳島営業支社 鳴門営業オフィス
オフィス長(機関担当) ※取材当時
2007年入社 国際関係学部卒

藤野 俊介

私のこだわり

考えて、考えて、考えて、いつの間にか夢中になっていた。

仕事が、つまらなかった。入社1年目。
個人保険の営業活動はなかなか成果が出なかった。周囲は結果を残していく。毎日、上司にもハッパをかけられた。頑張っている。でも、うまくいかない。上司からの言葉をありがたいと思う余裕もなかった。言われるまま話法を変え、お客さまのもとを訪ねた。初めてのご契約をいただけたのは、その2ヵ月後。お客さまに信頼していただけたことはうれしかった。でも、仕事はほどほどでいいやと思った。
そんな甘さが抜けたのは、Ⅳ期になってから。新人の生涯設計デザイナーの指導がはじまると1年目、2年目の「ほどほど」のツケを払うことになった。生涯設計デザイナーの同行営業に出ても、自分自身に力がなければ誰の役にも立てやしない。もう逃げるわけにはいかなかった。新人の生涯設計デザイナーを育てられなければ、その人の人生まで変わってしまう。今の自分に何ができる?必死に考えた。こう言えば生涯設計デザイナーにも伝わるんじゃないか。こんな指導ならば力がつくんじゃないか。お客さまを守れるんじゃないか。夢中になって考えて、考えて。気づいたら、仕事が面白くなっていた。今考えると、1年目の仕事は、どこか“やらされ仕事”だった。前のめりになるだけで、仕事はこんなに面白い。そのことを初めて知った。

私を変えた仕事

辞めていい仲間なんて、本当は一人もいない。

初めて営業オフィスを任されたのは4年前。当時のオフィスの課題は育成と採用だった。地域のより多くの人に第一生命の「安心」を届けるには、生涯設計デザイナーの数を増やすしかない。新人の採用も、育成もオフィス長の重要なミッションだ。このオフィスを成長させたい。その一心で新人をどんどん採用していった。
ひずみはいつ生まれたのだろう。「辞めさせて下さい」。あるとき、立て続けに新人の生涯設計デザイナーから退社の申し出を受けた。今、考えれば、原因はいくつもある。厳しい言葉をかけなくてはならないときも、生涯設計デザイナーに嫌われたくなくて、曖昧に濁して終わっていた。何をするにも自信がなくて、方針を立てては、変えての繰り返し。成功するまで続けることができなかった。コロコロ変わる指示に生涯設計デザイナーも次第についてこれなくなった。異動の辞令が届いたのはそんなころ。自分がオフィス長でなければ、生涯設計デザイナーたちはもっと長く続けれたんじゃないか。何度もそう考えた。生命保険の営業という仕事はその人の個性が活かせる仕事。長所も短所も関係ない。本当はみんな活躍できるはずだった。それなのに……。悔しくて、申し訳なくて、もう、二度と同じ間違いはしたくない。そう思った。

そして、この先に

育てたいのは自分で「?」を見つけられる生涯設計デザイナー。

つくりたかったのは、人が育つオフィスだ。そのために、何をすればよいのだろう。自分が仕事を始めたばかりのころ、全て「やらされ仕事」となってしまい、この仕事の面白さに気づけなかった。変わったのは、自分で、「どうすれば?」と考えるようになってから。大切なのは、自分の頭で考えること。自分の頭で「?」を育てること。そこで私が始めたのが新人の生涯設計デザイナー同士による営業同行だ。新人同士だから仕事はわからないことだらけ。準備不足もあるだろう。しかし、「今の自分たちでは不十分」と気づくだけでも価値はある。「このままでは不十分。じゃあどうしたらいいだろう?」と考えることで、その活動は成長のきっかけとなる。お客さまの役に立つために、今、自分に足りないものは何かと考える。その仕事の習慣さえできれば、技術は後からついてくる。仕事の面白さにも気づいてくる。
新人が育つとともに次第に営業オフィスに活気が生まれてきた。2年前、私が着任したころ9名しかいなかったこの営業オフィスには、現在18名まで増えている。入社したばかりの新人生涯設計デザイナーのなかには成績面でオフィスを牽引するメンバーも出てきた。働くって面白い。お客さまに安心を届けるためにも、そのことを生涯設計デザイナーに伝えていきたい。